大判例

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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)2848号 判決 1985年4月24日

控訴人

長谷川広次

(長谷川利傳次承継人)

右訴訟代理人

渡辺吉男

被控訴人

村上一雄

(村上源太郎承継人)

右訴訟代理人

大野忠男

大野了一

荒木俊馬

被控訴人

今井幾子

(今井清次郎承継人)

右訴訟代理人

川人博

小野寺利孝

黒岩容子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事   実≪省略≫

理由

一本件訴訟の進行経過を検討すると、原判決理由一の1ないし5に記載された事項(右の記載を引用する。)のほかに、次の事実を認めることができる。

6 東京地方裁判所昭和五五年日記第一〇一号予告登記抹消事件記録に編綴してある東京民事地方裁判所昭和七年(ワ)号事件民事事件簿には、同年(ワ)第四、六七四号所有権確認、登記抹消事件が、一二月二四日受理されたことが記載されている。その記載によれば、原告は長谷川利傳次、原告代理人は竹内喜市郎であり、被告は村上源太郎ほか三人である(従つて、訴提起当時被控訴人ら各先代のほかに二名の者が被告とされていたことになるが、その氏名も不明であるから、一応不問に付することとする。)。

7 右事件簿には、同日受付の(ワ)第四、六七二号、第四、六七三号、第四、六七五号、第四、六七六号、第四、六七七号が登載されており、いずれも原告は長谷川利傳次、代理人は竹内喜市郎、標目は(土地)所有権確認登記抹消で、被告は順次、斉藤四郎ほか三人、今井清次郎、村上源太郎、岡部六弥、斉藤四郎ほか七人となつている(この記載からいえば、原審事件である(ワ)第四、六七四号の被告に被控訴人今井の先代今井清次郎が含まれるのかどうか疑いが残るが、一応不問に付することとする。)。

8 同庁同年(ワ)号事件民事記録保存簿には、第四、六七四号の表示はあるが、その標目、終局区別、終局年月日欄は空白である(7記載の各事件についても同じである。)。

9 同庁民事記録廃棄目録、東京地方裁判所事件書類廃棄許可書綴の目録には、いずれも第四、六七四号事件の記載がない(7記載の各事件についても同じである。)。

以上1ないし9(4を除く)の事実の中には、本件訴訟がすでに終了していることを確認しうる資料はない。ただ、訴提起の日が余りにも古い時期に属すること並びに右の6、7の認定から分かるように、関連事件と見られる事件にも多数の被告が存在しているのに、その被告らとの紛争が継続している様子が窺われないことから、かなりの疑問は残るものといわなければならないが、確証がない以上、本件訴訟はなお係属中として扱うべきものである。

二そこで、被控訴人らの本案前の抗弁について検討を加えることとするが、先ず、<証拠>により、次の事実を認めることができる。

1  控訴人先代長谷川利傳次(旧氏武藤)の従姉に当たる亡三栄は、大正一一年一一月二三日死亡した。同人は戸主であり、生前本件土地を含む多くの不動産を所有していたが、法定推定家督相続人となるべき者がなかつた為、その死亡により、親族会の選定する相続人が家督を相続することとなつた。先ず、大正一一年一二月二六日の親族会決議により、長田志かが相続人に選ばれたが、同人の妹長田ひさのの提起した右決議の無効確認の訴(と推認される)の請求を認容する判決が確定して、長田志か(長谷川志か)の相続の届出は抹消された。次に、昭和二年二月一〇日の親族会決議により、長田ひさのが相続人に選ばれたが、長谷川利傳次の弟武藤和七郎らの提起した右決議の無効確認の訴の事実上の効果(請求認容の判決が確定したことは確認できない)により、長田ひさの)(ママ)(長谷川ひさの)の相続の届出は抹消された。その後招集された親族会の決議により、長谷川利傳次が相続人に選定されて、昭和七年一二月一日戸籍にその旨の記載が行われた。

2  長田志か(長谷川志か)は、同人の上記家督相続人の届出が抹消される前の大正一一年一二月二九日被控訴人村上の先代村上源太郎に本件土地を売渡し、同人は大正一四年一二月二五日被控訴人今井の先代今井清次郎にこれを転売した。その為本件土地については、請求の趣旨2、3の通りの所有権移転登記が経由されている(被控訴人らの各先代名義の所有権移転登記があることは、関係被控訴人において争わない。)。

3  長谷川利傳次(昭和一二年三月三〇日死亡)の家督相続人が控訴人、村上源太郎(昭和二〇年九月二三日死亡)の家督相続人が被控訴人村上、今井清次郎(昭和二九年四月一二日死亡)の相続人が控訴人今井である。

三控訴人が当審の本人尋問で述べるところによれば、控訴人が軍務への召集に応じた昭和一九年一〇月七日当時、本件訴訟は確かに進行中であつて、まもなく裁判所から和解の勧告があることが予想される段階であつた。しかし、控訴人の応召中は、和解の状況について訴訟代理人から何の報告も受けることがなく、昭和二二年復員帰郷の後訴訟代理人に会つて、和解は成立しておらず、本件の訴訟記録が全部焼失し、再製の為には金二万円程度を支弁しなければならないと聞かされた。当時控訴人には到底その余裕がなかつたので、再製には着手しなかつたというのである。そうして、その後の口頭弁論再開に至る事情は、原判決理由一3、4記載の通りであるから、これを引用する。

従つて、本件訴訟は遅くとも昭和二〇年以降昭和五五年六月まで、実に三五年の間、原告である控訴人からはいかなる申立もなく、また住所変更の通知すら出されず、裁判所からも当事者双方に対して何らの照会あるいは呼出もされないまま、その進行を止めていたものと認められる。

更に、右本人尋問の結果によると、控訴人は復員後まもない時期に本件土地付近を一度見分したが、その後は全くここに出向いていないし、当時の被告らと接触しようとした事実もなかつたことが認められる。

控訴人は、原審、当審の本人尋問において、控訴人が本件訴訟の進行を放置した理由について、控訴人及び控訴人の先妻長谷川志づ江が戦後の生計を維持する為に苦労を続け、かつ長年月を闘病に費やした為であると供述し、その事情は存在したと認められるが、たとえそのような事情があつても、その間控訴人が本件訴訟の促進を裁判所に要請し、あるいは本件土地を占有する被控訴人今井の先代などと接触することが全く不可能であつたとは到底解されないのであり、ほかに、控訴人が本訴を追行するについての障碍が、三五年の間持続していたことを認めるべき証拠はない(控訴人が、訴訟代理人から訴訟記録再製の為には過大な費用の支弁を要するといわれたので、訴訟追行を見合わせた旨供述していることは上記の通りであるが、仮りに復員後まもなくそのようなことを聞いたとしても、年月を経た後もなお何らの手段を講じなかつたことの理由にはならないと考える。)。

四本件訴訟が上述の状況下にあることを前提とし、この場合における控訴人の訴訟追行権能の行使をどのように評価すべきかについて、更に検討を加えることとする。

国の制度である民事訴訟の手続の進行は、裁判所の主宰のもとに行われるものである。しかし、例えば各口頭弁論期日を内容空疎なものに終らさず、紛争の解決に有益な手段とする為には、訴訟当事者の協力が必須であつて、これがなければ事件の実質的な終了はありえないこともまた多言を要しない。

ところで、本件のように、訴訟事件の記録が戦時の災害により焼失したかあるいはこれに準ずる事由で紛失したと見られる場合、東京地方裁判所においては事件部の一つを事件記録再製の担当者と定め、当事者の要請を受けて、当事者の所持する訴状その他の準備書面等の副本や控をもとに記録の一物を再製し、再製記録に基づいてその後の訴訟手続を進行する取扱いをしたことは、当裁判所に顕著な事実である。しかし、当事者の所在が不明でその要請がないのに、裁判所が当事者を探し出して事件記録の再製を手がけた事実があることは、伝えられていない。これは、民事訴訟による解決を図ることが当事者特に原告の自由とされ、また訴訟物たる権利も原告が放棄しうる場合が多いことから、原告の訴訟追行の意思が明確でない訴訟事件についてまで、裁判所が介入して訴訟を促進する必要は少いと見られた為であり、これに当時の特殊事情(例えば一般事件数の急増、職員数や用紙類の確保が十分でなかつたことなど)が加わつた結果であると推察される。従つて、当事者特に原告からの要請がなければ進んで訴訟事件記録を再製しない(換言すれば手続を進行しない)という上記の取扱いは、直ちに訴訟手続主宰者としての裁判所の責務に背馳するとはいえないのであり、本件訴訟についても、控訴人からの申出があつたにもかかわらず手続の進行を拒んだなどの事情が全く顕われていない以上、裁判所が訴訟主宰の義務を懈怠し、不誠実であつたとすることはできない。(付言すると、昭和七年一二月提訴の本件訴訟が、昭和一九年一〇月に及んでなお第一審の終局に至らなかつたこと自体は、尋常でないと思われるが、推測すれば、訴訟当事者の多数(当審の控訴人本人尋問の結果によれば、関連事件を併合あるいは同時進行の形態で進めて貰つていたようである。)、裁判所の和解勧試の意向(右本人尋問の結果によると、長谷川利傳次は生涯群馬県太田市(元休泊村)に居住していた者で、東京都墨田区(元本所区)居住の亡三栄が本件土地を取得するについて、また取得後これを管理するについて、同人の為に助力したことは全くなかつたことが認められ、他方、当時の被告今井清次郎が本件土地を売買によつて取得したことは上記の通りである。)などが遅延の理由と考えられる上、遅延しながらも進行はしていたのであるから、訴訟記録滅失以前の時期における裁判所の義務の懈怠を肯定することはできない。)

次に、民事訴訟の被告となつた者も訴訟手続の進行に協力すべき義務があることは当然といえるが、その立場は原告と異なるのであるから、訴訟の進行を早めることに積極的に努力すべき義務は負わないのが普通であるし、被控訴人ら又はその各被承継人らが、本件訴訟において殊更に控訴人の訴訟活動を妨害したという事実は、控訴人も主張しないところであり、記録上もこれを窺うことができない。

そうすると、本件訴訟において三五年間の訴訟手続休止状態が惹起されたのは、専ら控訴人が重大な過失により訴訟追行権の行使を懈怠したことに帰せられるというほかはないのである。

五一般に、訴訟当事者が訴訟の遅延を目的として訴訟行為をした場合、裁判所はその効力を認めないこともできると解されており、その根拠は、通常信義誠実の原則の訴訟行為への適用あるいは訴訟追行権の濫用禁止の原則の適用に求められている。

本件は、控訴人が積極的に訴訟遅延を目的とする訴訟行為をした場合ではないが、上来認定の通り、裁判所にとつて控訴人の訴訟進行に関する意思が全く不明であつて、しかもこれを知る手がかりもない状態にあるにもかかわらず、控訴人が裁判所に対して訴訟を進める為の手段をとらないまま、常識を超える程度の長年月を経たという事案であるから、訴訟当事者が訴訟遅延を目的とする訴訟行為をした場合に適用される原則が本事案にも適用され、控訴人は信義則違反の責を負わされて然るべきものと考える。すなわち、訴訟による解決をはかることが原告の自由とされている民事訴訟においても、提訴の後長年月の間理由なく被告を不安定な立場に置くこと自体、また長年月の間何の連絡もない為、被告が現状が肯定されたと信じて次の段階の法律行為をするに至つた後に、被告の信頼を覆すこと自体、被告に対する信義に反するものといえるのであり、裁判所に対する関係を考えても、裁判所に対して住所変更の通知もせず、期日指定の申立もしないで長年月を徒過し、その間民事訴訟法二三八条の規定の適用も受けない状態を継続させることは、裁判所の訴訟主宰権能の行使を妨げることにほかならず、同様に信義に反するものといわなければならない。

右のような観点から控訴人の本件提訴の効果を考えると、控訴人の上記の訴訟追行権行使の懈怠に対しては、控訴人が懈怠状態から脱して右追行権の再行使を始めた段階で、その行使が控訴人の重大な過失により著るしく時機に遅れたものであることを理由とし、信義則に照らして訴を却下すべきものと判断するのが相当である。見方をかえて、控訴人の権利行使が現段階では権利の濫用に当たると評価しても結論に変りはなく、訴の却下は免れないところである。

六以上の説示に従えば、控訴人の本訴請求については、実体の判断に入る前に、不適法として訴を却下すべきものであるから、原判決は結論において相当であつて、本件控訴は理由がない。よつて控訴を棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文の通り判決する。

(吉江清景 林  醇 渡邊 等)

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